当地は、海抜30メートルを超えた台地にあります。
埋立地でもありません。
河川、田圃の周辺でもありません。
3.11の場合、ライフラインは3.4日で復旧しました
そのわけは、
約6千年前の縄文海進によって古那珂川や古桜川の深い谷に海が侵入しました。
当時の水戸は、低地が入江となり台地周辺が海岸線となりました。
偕楽園などが辛うじて台地になって、ぽっかり、ぽかりと小島が浮かんでいた図が想像できます。
その島の一つに見川地帯が含まれていたのです。
その後ゆっくりと海が退きましたが、その過程で桜川が那珂川の堆積物で塞き止められて千波湖が発生しました。
桜山の下から吉田神社の近くに及ぶ大きな湖、千波湖が形成されました。
これが開拓によって現在の小振りな湖になりましたが、この時の地殻の変化がその後の地殻強弱の命運を左右したといえます。
海進時に台地であった当地は、海退時にも浸食を免れて地殻は礫層を主とし、その上に関東ローム層と呼ばれる火山噴火物が3メートル程度の厚さで重なっています。
したがって、当地は、海進前の古い地層であるから巨大地震にも耐えうる強固な地盤が形成されたのです。
巨大地震に見舞われても、食器一つ落下せず、家具の転倒も免れた理由が此処にあります。
ちなみに、現在の海抜状況は次のとおりで、上記の台地生成の歴史に得心がいきます。
当地 |
31メートル
|
|---|---|
護国神社 |
24メート
|
常磐神社 |
22メートル
|
好文亭 |
22メートル
|
千波湖 |
9メートル
|
茨城県歴史館 |
24メートル
|

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水戸周辺の探梅記録
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